甲斐犬物語 1

甲斐犬物語 1

猟師と一心同体 古武士の風格漂う 山梨日日新聞「甲斐犬物語 1」

山梨日日新聞で1982年1月1日から1月17日まで、竹田十九平記者による甲斐犬に関する記事が連載されました。 記者の観点から取材された内容は、甲斐犬の基本的なことを理解するのに役立ちます。

昭和五十六年十一月の展覧会で”ミスター甲斐犬”に選ばれた「小鉄」の勇姿

一代一主、つまり一人の主人にしか服従しないと言われる甲斐犬が愛犬家のあいだで人気を集めている。

南アルプスの猟犬として長期間、山梨の山岳地帯生まれの純血を貫き、天然記念物に指定されている甲斐犬の歴史は古くて新しい。

秋田犬など大柄な日本犬やセントバーナードなど華やかな洋犬と比べて地味な甲斐犬は熱烈な保護者、愛犬家たちによって引き継がれ、最近では北海道犬とともに地域性を残す数少ない犬種として脚光を浴びている。

イヌ年にちなんで甲斐犬のルーツと現状を探ってみた。

甲斐鰍沢宿(現在の南巨摩郡鰍沢町)は江戸時代から昭和初期ににかけて富士川舟運点として栄えた。 峡南地方最大の商業地域で、近隣の村から物資を求める人々が集まった。

その中でニホンカモシカ、キジ、イノシシなどを追う屈強な漁師たちの姿もあった。

猟師たちは獲物を鰍沢宿の商人に売り、米、みそ、しょうゆ、酒を求めて民家に立寄った。

その足元には必ず精悍な黒っぽい虎毛の犬が控えていた。

ピンとたった耳と尾。厚い胸とくびれた腰。跳躍力を秘めた四肢。

全身を覆う虎模様の黒褐色の胸毛から、主人以外の他人に対しては警戒心を解かない鋭い目が光る。

荒々しく山岳地帯の猟に生きる猟師たちと、一心同体である。

この無気味な容姿だけで村の犬など寄せ付けない雰囲気で、妖気(ようき)が漂い、もし他の犬が近づくものなら一殺のうちに倒す風貌を持っていた事を思い出す」 これは 少年時代を鰍沢で過ごしたという富山医科大事務局長の早川敬明が甲斐犬愛護会の発関誌に投稿した随筆「甲斐犬雑感」の一節である。

早川はさらに「山から出てくる人々は大衆雑誌の主人公のような古武士の風格によく似た無愛想な犬ばかり連れてくるものだと子供心に強く感じた」とも書いている。

昭和初期、南アルプスの猟師たちが鰍沢宿に連れて来た犬は、まだ「猟犬」と呼ばれるに過ぎなかった。 この犬たちが「甲斐犬」と名付けられるのはもう少し後になる。

甲斐犬として、その名を世にとどろかす以前の南アルプス一帯の猟犬の優秀性は古文書にも記されている。

江戸時代、徳川幕府の狩り全般を受け持つ雑司ヶ谷御鷹部屋所属の鷹匠だった中田家に伝わる古文書に当時、御鷹部屋が担当した猟犬買上高、猟犬調査の項目がある。 この中に「甲州巨摩郡、小林藤之助支配所。

江戸より三十八、九里、芦倉村(現・芦安村)同平林村(現・増穂町)。

右村々猟師格別多く宜犬御座趣に候」と記されている。 これは、南アルプス山ろくから鰍沢宿に下りてくる猟師たちに、ぴったりと寄り添う「古武士のような犬」を指している。

格式ある御鷹部屋が太鼓判を押した犬であった。 山梨にこのような素晴らしい犬がいたのに明治、大正の間は文明開化に歩調を合わせた全国的な洋犬ブームで脚光を浴びることはなかった。

この空白の時代が山梨を原産とする甲斐犬の神秘性を一段と増殖させる理由の一つにもなる。

(敬称略)