甲斐犬物語13

甲斐犬物語 13

飼い犬増え住居移す 死を悲しみ立派な墓も 山梨日日新聞「甲斐犬物語 13」

山梨日日新聞で1982年1月1日から1月17日まで、竹田十九平記者による甲斐犬に関する記事が連載されました。 記者の観点から取材された内容は、甲斐犬の基本的なことを理解するのに役立ちます。

(自宅の庭で生後間もない甲斐犬と遊ぶ早川夫妻、起きるから寝るまで甲斐犬と触れ合っている)

 

甲斐犬飼育家は他の犬種の飼い主に比べてプライドが高いという。 ふだんは温厚な人も愛犬の話になるとわれを忘れて自慢話に花を咲かせる。 ときには同じ飼育仲間を名指しで批判し、つまりは「自分の愛犬が最高だ」といった具合である。 しかし共通して言えるのは根っからの甲斐犬好きで、かつ、お人好しということである。 わざわざ「甲斐犬」好きと犬種を限定したのは、ほとんどの飼育家がシェパードもコリーもスピッツも秋田犬も嫌いだからだ。 単なる犬好きではなく甲斐犬好きなのである。 中巨摩郡玉穂村成島の鮮魚卸業早田源一(66)はいつも二十匹を越す甲斐犬を買っている。 甲府市中心街に住んでいたが、同市南部に完成した甲府中央卸売市場に移転したのを機会に、広々とした玉穂村に住居を移した。 住み慣れた中心街を離れることにしたのは商売の関係より愛犬が増えたからである。 早川は「こっちは庭も広いので、犬たちも伸び伸び暮らせる」と笑顔で語る。犬のために住居を移転させるほどの愛犬家だ。 新居の座敷に通されて、もう一度あきれる。床の間には毛筆の黒々とした太い字で「一主一代」と書かれた大きな掛け軸がある。 ”甲斐犬狂”も徹底していて、早川は「甲斐犬のことで、他人に犬狂いなどと言われるが少しも気にしない。むしろうれしいくらいだ」とすまし顔である。 早川の妻・英子(61)も夫に輪をかけたような甲斐犬狂だ。長年の経験を生かして夫婦で展覧会の審査員も務める。 毎朝、毎晩、一匹一匹の健康状態に気を配る。 なかでも二人が最もいとおしく思っているのは「チマ」の愛称で読んでいる十二歳になる甲斐知真号だ。 そのチマの父親甲斐黒号は早川家の名誉そのものである。 甲斐黒号はいま東京・上野の国立科学博物館にはく製で陳列されている。 同博物館に陳列された犬としては四番目である。もちろん甲斐犬では初めてだ。 甲斐黒号のすぐ隣には秋田犬の忠犬ハチ公も陳列されている。 甲斐黒号が中央に立っているので、早川は「まるでクロ(甲斐黒号の愛称)がハチ公を従えているようだ」とご機嫌だ。 クロが博物館入りしたのは昭和四十年十一月、この年、日本犬のルーツを探る目的で編成された学者グループが来甲、甲斐犬調査の為早川宅を訪れた。 調査団の一員でもあった同博物館の動物部長は老齢化していたクロをみて博物館入りを勧めた。 早川は「はく製にするのはかわいそう」と一度は断ったが、三ヶ月後の九月、クロが老衰で死亡、「多くの人に見てもらえるなら」と、博物館入りを承諾した。 早川は「当時、博物館の人が!”日本一のはく製師が担当するので、クロも本望でしょう”と説明されてその気になった。 いまではこのうえない名誉だと思っている」と回想する。 その後は毎年、最低一回は博物館に夫婦そろって足を運ぶ。 クロと対面することが何よりも楽しみだという。 早川の甲斐犬に注ぐ愛情はクロやチマだけではない。昨年、バラの手入れで農薬の調合を間違え、子犬三匹を死なせた。 不注意を悲しんだ早川は市内の倫願時に立派な墓を建てた。 このとき申し出を受けた住職の小林淳光(前甲府市議)も一瞬あきれたが、早川のたっての願いを入れて異例の犬の墓をつくったという。 早川と同じような愛犬家は県内には少なくない。 (敬称略)