甲斐犬物語12

甲斐犬物語 12

人間界と熱いきずな 火災発見や人命救助も 山梨日日新聞「甲斐犬物語 12」

山梨日日新聞で1982年1月1日から1月17日まで、竹田十九平記者による甲斐犬に関する記事が連載されました。 記者の観点から取材された内容は、甲斐犬の基本的なことを理解するのに役立ちます。

(28歳10ヶ月を記録した超長寿犬クロ号と森本秀義、このときに既に20歳えを超えていた)

 

国の天然記念物でもある甲斐犬は数多くの愛犬家たちの愛情に支えられて繁栄しつつある。 愛犬家たちの話題をさらった名犬、忠犬も多い。 「ダン号」は甲斐犬の歴史に詳しい人にとっては最もなつかしい名前である。 甲斐犬の発掘者である甲府地方検事局次席検事安達太助が念願かなって初めて飼った甲斐犬である。 原産地芦安村産でクマ、シカ猟の名犬として容姿、狩猟本能ともにそろった名犬として評判が高かった。 昭和六年、甲斐日本犬愛護会が設立されたときの記録には「盛大な発会式なるも甲斐日本犬はわすか四頭。しかし出席者全員、将来の発展を期した」とある。 この四頭のうちの1頭が「ダン号」である。 山犬の身分から甲斐日本犬として世に出た第一号でもあった。 安達は翌年、千葉へ転任する際に、将来種犬として愛護会に泣く泣く寄贈したが、一年後、四歳で死んだ。 中巨摩郡芦安村の元助役森本秀義の愛犬「クロ号」は当時、ギネスブックがあったら世界一の長寿犬として載っただろう。 「クロ号」は昭和十三年一月、森本宅で生まれ、二十八年十ヶ月生き続けた。 甲斐犬の寿命は普通八歳から十歳と言われているので、人間の年齢に換算すると二百歳近い。 甲斐犬愛護会常任理事小林いさお(小林承吉夫人)は「二十歳を越してからは目が不自由になり松本さんも家の中で飼っていたそうだが、用便のときは必ず自分で用を足していたと聞いている。 年老いても甲斐犬の良さを持ち続けた犬だ」と言う。 参考までに現在ギネスブックに載っている長寿犬は豪州・ビクトリアのクイーンランド種の犬で、二十九歳五ヶ月。「クロ号」と同じように若いころに猟犬として原野を駆け回った犬である。 華やかな脚光は浴びなかったものの、国際親善の使者として海外に渡った甲斐犬も多い。 なかでも終戦のどさくさがようやく収まりかけた昭和二十五年、甲府市立動物園と米国・ユタ州のソルト・レーク市ホーグル動物園の交歓事業として旅立った十匹の甲斐犬は一般市民にまで明るいニュースを提供した。 その裏にはかわいい愛犬を手放そうとしない飼い主たちの説得に奔走した甲府市立動物園長小林承吉の苦労もあった。 その年の一月十五日、甲府駅前で開かれた壮行会では別れを惜しんで泣き出す愛犬家もいたという。 終戦直後、進駐軍の兵士たちの間では爆発的な秋田犬ブームが起こり、日本人の間でもブームとなった。 その一方で、秋田犬には目もくれず甲斐犬を持ち帰った米兵も多い。 昨年九月他界した甲斐犬愛護会三代目会長の寺田七男は「米国にはかなりの数の甲斐犬が渡っている。猟犬として広い原野を駆ける甲斐犬を想像すると実にうれしい」と語ったものである。 数多くの名犬を育てた東山梨郡大和村木賊の高山荘経営林時春(51)は四年前、野生のキツネにしばしばニワトリを襲われ、閉口していた大月市猿橋のドングリ牧場に愛犬三匹を番犬として贈った。うち一匹はいまだに健在である。 このほか、火災を発見したり、人命救助に活躍した甲斐犬は数え切れない。それらすべての犬たちは甲斐犬としての形態や容姿の優劣に関係なく人間の心の奥にまで入り込んでいる。 (敬称略)