甲斐犬物語 9

甲斐犬物語 9

忠義宣伝のため利用 人がねつ造した愚かさ 山梨日日新聞「甲斐犬物語 9」

山梨日日新聞で1982年1月1日から1月17日まで、竹田十九平記者による甲斐犬に関する記事が連載されました。 記者の観点から取材された内容は、甲斐犬の基本的なことを理解するのに役立ちます。

甲斐犬と前後して国の天然記念物に指定された①右上秋田犬②右下紀州犬③左上四国犬④左下柴犬

 

甲斐犬に関しては東京都内では中心的な犬舎である柳沢琢朗(61)=中野区在住、鳥獣業=は甲斐犬を通じて哲学者の高橋庄治(74)と長い付き合いがあった。 柳沢は高橋について「甲斐犬という接点がなければ、私たちなど口もきけないえらい先生。 十五年以上も前に甲斐犬の先駆者の安達太助先生が高齢のうえ病気になったと聞き、存命のうちに記念誌を出そうと考えて、高橋先生に原稿を依頼した。 当時原稿料は最低でも一枚何千円としたということだが、一銭も受け取らずに素晴らしい文章を書きあげてくれた」と語る。 柳沢によると、高橋は戦争中も反戦論者で獄中生活の経験もある。 「どちらかというと左翼系の人だと思うが、昭和初期、日本の純血を守ろうという国粋主義運動もちょっぴり入った日本犬保存運動から生まれた甲斐犬に無常の喜びを感じておられるから面白い」とも付け加えた。 その高橋の「ハチ公対甲斐犬論」はなおも続く。 高橋者「あまり騒ぐと秋田犬を飼う人におこられるので!」と注釈をつけ「忠犬ハチ公の話はデッチ上げたものだと思う」と結論づける。 「ハチ公の話は戦争中、盛んに、”忠義”という言葉が乱用され、ハチ公もその忠義宣伝のために利用された」と分析する。 そして人間の忠義と犬の忠義の差を明確に語る。 高橋によると、人間の忠義は封建社会の主従関係からうまれたもので、民主主義の社会ではあってはならないものだ。 しかし、犬の忠義は本能だ。決して作り出されたものではない。 犬の忠義は特に甲斐犬に顕著だという。 高橋は柳沢から聞いた話を次のように述べている。 「ある国会議員が甲斐犬を飼っていた。甲斐犬独特の習性を知らない家の人たちは、この犬をばかなのか利口なのかわからないと不思議がっていた。 ところが飼い主の議員が死んでから、それまで一度も座敷などに上がることがなかった犬が議員の仏壇の前に突然座り込みようになった。 追い払っても座り込むので家族はあきらめてほうって置いたところ、そのまま何も食べず死んでいった」 実話だという、このほか、数多い甲斐犬秘話を引用して、人間が作り出した忠犬ハチ公像の愚かさを指摘している。 高橋は哲学者の立場から甲斐犬について論じている。 ロシアの作家ゴーリキーの「第一の自然」「第二の自然」論を引用する。 第一の自然とは自然の山水であり、第二の自然とは家や着物、それに反自然のようであっても、実は文化という自然であるという意味で第二の自然と表現している。 これに犬を当てはめ、洋犬などの混合による改造犬を「第二の自然」と呼び、純血種で野生のままの甲斐犬を「第一の自然」と呼ぶ。 しかし戦争中の混乱期には甲斐犬も雑種化が一部で目立った。 このため将来の甲斐犬の方向を山犬時代の「第一の自然」に近づける努力が必要と訴えている。 高橋はいま世田谷の成城で愛犬の甲斐犬「ブン」と暮らしている。 甲斐犬の自然の本能は素晴らしい、といい「私が飼っているのではなく、飼われているようなものだ」とさえ言う。 一方、高橋がばか犬と決めつけた忠犬ハチ公の、はく製は東京・上野の国立科学博物館に展示されている。 そのすぐ隣には正真正銘の甲斐犬「甲斐黒号」が悠然と立っている。 (敬称略)