甲斐犬物語 5

甲斐犬物語 5

国も在来権保護に力 記念物指定へはずみ 山梨日日新聞「甲斐犬物語 5」

山梨日日新聞で1982年1月1日から1月17日まで、竹田十九平記者による甲斐犬に関する記事が連載されました。

記者の観点から取材された内容は、甲斐犬の基本的なことを理解するのに役立ちます。

 

四国・高知の土佐闘犬は四角いリングの中で戦わせる。 勇壮なこの闘犬は全国的にも有名だ。 土佐犬と呼ばれるこの犬は日本犬と錯覚されがちだが、実は洋犬である。 しかも激しく戦うことだけを目的に人工的に作り出された犬である。 土佐地方在来の中型犬にブルドッグ、ポインター、グレートデーン、マスチス、ボストンブル、セントバーナードなど、あらゆる輸入犬の血をかけ合せた。 土佐闘犬を観察してみると、食いついたら絶対はなさないというブルドッグ、子牛ほどもある超大型犬のセントバーナードの面影がある。 土佐闘犬のように人工的に作り出された犬ばかりでなく、明治依頼、雑種化が進んだ。 名古屋大学農学部助手・太田克明の「犬の家畜化並びに日本在来犬の起源と歴史」という報告書によると「幕末から始まった多数の外国犬輸入は、明治期以降の欧化熱の進展に伴い、まうます拍車がかかり、在来犬の雑種化が急速に進んだ。他方、日本犬の衰微は著しく、大正末期には都市部では純粋な在来犬をみることが全くできなくなるまでに至った」ほどである。 明治の文明開化依頼「洋犬にあらずんば優秀犬にあらず」といった社会現象が続いた。 しかし大正末期から昭和初期にかけて、ようやく識者の間から反省の声が起きた。 昭和三年には日本犬保存会が設立され、在来日本犬の保護活動が始動した。 一方、このころから国も絶滅の危惧に立たされた日本犬の保存に力を入れ始め、文部省天然記念物調査員の鈴木外岐雄(後に東京理科大教授)が全国調査を開始した。 この結果、昭和六年、日本犬としては初めて秋田犬が国の天然記念物に指定された。 ちょうど山梨県内では甲府地検次席検事の安達太助が南アルプスで甲斐日本犬の現地調査をし、県内の有志を集めて甲斐日本犬愛護会を発足させた年である。 秋田犬の天然記念物指定の決定は当然のように甲斐日本犬の天然記念物指定への動きにつながってくる。 昭和七年一月、甲斐日本犬の発掘者で愛護会設立の原動力となった安達は甲府で三年間の任期を終えて千葉県八日市場地方裁判所へ転出した。 このため、愛護会は新会長に県議の今井新造(後に衆議院議員)副会長に甲府市議の寺田七男(後に県議、山梨中央銀行監査役、岡島会長などを歴任)を選び、安達は特別会員として一線を退いた。 新体制も協力メンバーである。 特に寺田は常任理事の小林承吉(昭和三八年没)とともに戦後も甲斐犬の保存に力を入れ、昨年九月、八十六歳で他界する直前まで甲斐犬愛護会の会長として功績を残した。 新体制はさっそく甲斐日本犬の国の天然記念物指定へ向けて精力的な活動をスタートする。 その第一は甲斐日本犬の優秀性を中央の識者をはじめ、文部省の担当者に理解してもらうことであった。 しかし、その作業はそれほど困難なものではなかった。 なぜなら、日本犬保存会会長の斉藤弘吉、文部省調査員の鈴木外岐雄ら各界の権威者たちは山梨に素晴らしい在来種の日本犬が純血種のまま残っていることを知っていた。 むしろ専門家側の方が甲斐日本犬に強い関心を示していたからである。 (敬称略)