甲斐犬物語 4

甲斐犬物語 4

保存へ愛護会を発足 県内の名士が固く結束 山梨日日新聞「甲斐犬物語 4」

山梨日日新聞で1982年1月1日から1月17日まで、竹田十九平記者による甲斐犬に関する記事が連載されました。 記者の観点から取材された内容は、甲斐犬の基本的なことを理解するのに役立ちます。

天然記念物指定を前に開いた甲斐日本犬展には甲斐犬発掘の功労者が勢ぞろい した。

右から甲斐日本犬愛護会会長・今井新造、日本権保存会会長・斉藤弘吉、名誉会員・安達大輔の各氏。

 

南アルプスを中心とした県内の山岳地帯で、猟師達が使っていた猟犬は土地に根ざした純粋な在来種であったのに、昭和初期まで正式な呼び名がなかった。 「山犬」とか「地犬」とか呼ばれたり、体毛の特徴から「虎毛」とも呼ばれ、ときにはただの「犬」として扱われた。 しかし昭和四年から始まった甲府地検次席検事安達太助の調査や甲府動物園長小林承吉の研究で、甲斐独特の日本犬であることが明らかになり「甲斐日本犬」という統一呼称になった。 さらに、昭和六年、安達は自ら主要生息地の南アルプス山ろくの芦安村に足を踏み入れ、豊富な甲斐日本犬の所在を確認してからは「捜査活動」を「保護活動」へ転換した。 この年の八月、愛安村から甲府へ帰った安達はさっそく、県内の愛犬家や名士に甲斐日本犬の保護組織設立を呼びかける趣意書を送った。 その文面は「我が山梨には他に類を見ない特殊な日本犬が今なお残っているのです。しかも殆ど絶無だともいわれている狼に似た怜悧(れいり)な虎毛の犬です。 (中略)甲斐日本犬の名に栄あらしむ為、切に愛犬家及び愛好者諸氏の御援助をお願いします」という切々たる訴えであった。 昭和6年十一月三日、甲府で甲斐日本犬愛護会(現甲斐犬愛護会)発会式が開かれた。 参加者は発起人である安達、小林ほか、県議の今井新造(後に衆議院議員)、山梨中央銀行頭取の名取などが顔をそろえた。 その顔ぶれは代議士、意思、弁護士、実業家などいづれも県内でトップクラスの大物ばかり。 当時の様子を「発会式に集まった人だけで当時の山梨が動かせるほどの顔ぶれだった」 安達の実力者ぶりとともに「当時の検事という職席の権威のすごさをも物語っている。 小林承吉の長男で、獣医でもあり現甲斐犬愛護会会長の小林君男は「今こそペットブームで高価な犬を飼う人は多いが、あの当時、本格的に犬を飼う人といえば猟師は別にして経済的にも恵まれった人ばかりで。 しかも洋犬主流の中で日本犬を飼おうとする人は金持ちで、変わり者か、学者ぐらいだったようだ」と語っている。 まさに一般市民には手の届かないような所で保存活動がスタートしたのである。 反面、実力者たちによる甲斐日本犬愛護活動はその実力をいかんなく発揮した。 会の規約も「在来の純血を守る」ことを基本にし「金銭による売買をしない」など厳しい条件を付けた。 当時、全国的にも洋犬主流に反発するかのように秋田犬保存会や柴犬保存会、紀州犬保存会などが相次いで設立された。 しかし、甲斐日本犬愛護会が最も地元の名士たちの結束が固く、厳格な運営が継続された。 悪ういえば貴族趣味、閉鎖的とも受け取られたかもしれないが、この閉鎖性が他地域の日本犬が雑種化したり、北陸の越の犬、岐阜の美濃柴犬のように戦争で絶滅することもなく、驚くべき純血性を保ち続けた原動力にもなった。 さらに結成三年後には早くも甲斐日本犬が新たに「甲斐犬」の名前で国の天然記念物に指定される推進力にもなった。 (敬称略)