甲斐犬物語 3

甲斐犬物語 3

芦安村で感激の発見 保護の機運盛り上がる 山梨日日新聞「甲斐犬物語 3」

山梨日日新聞で1982年1月1日から1月17日まで、竹田十九平記者による甲斐犬に関する記事が連載されました。 記者の観点から取材された内容は、甲斐犬の基本的なことを理解するのに役立ちます。 大捜査の成果として安達太助が芦安村で入手した稚丹号 この当時はまだ甲斐日本犬と呼ばれていた(写真昭和六年撮影)

 

山紫水明の地山梨で純血の日本犬を探したい」と意気込んでやってきた安達太助は早速犬探しを始めた。 安達はとうじの手記に次のように書いている。 「どちらを向いても山また山だ(山岳では)鹿や猪がとれればとて、格別珍しかられもせず。 三面記事にもならない土地だ。 いずれ山奥にはきっと日本権がいるに違いない。 うまくゆけば市内にいるかもしれないくらいにたやすく考えて、商売気を出して、手近なところから捜査を開始した」 この結果「どこの路地には、どんな犬がいるかということまで知り尽くしたつもり」(同手記)のところまでいったが、目指す日本犬には出くわさなかった。 しかし、操作にかけてはプロである。 市内捜査の一方で、本職の捜査網も頼った。 担当する事件で地方に出張する度に、地元の警察署長に「ご迷惑でしょうが」と日本犬捜査を頼み込んだ。 昭和初期、検事は格式の塊のような地位にあった。 そのお堅い賢治さんから「犬を頼む」と切り出された所長さんたちも驚いたに違いない。 しかし、操作は難航を極め、二年間、日本犬に遭遇できないまま過ぎた。 当初の意気込みが、しぼみかけてきた昭和六年春、思わぬ場所で日本犬に遭遇した。 ある朝、甲府市愛岩町の検事局宿舎を出て甲府地検に向かう途中、甲府警察署前を駆け抜ける小型の柴犬のような犬を目撃したのである。 一ヶ月後、今度は県庁跡の敷地を疾走する中型の日本犬にも出くわした。 更に一週間後には自分の住む官舎の玄関先に寝そべっている日本犬にも出くわした。 安達はこの時の喜びを「三度目の正直」「至誠天に通じて」「心中で絶叫」「雀踊りして」など感情むき出しにした形容詞で書き残している。 虎毛の剛毛に全身を覆われ、ピンと立った耳と尾を持つ、初めて見る日本犬を目と鼻の先で目撃した。 ”犬検事”の捜査はこの時点から、段と力が入った。 この間、既に県内の山間部に多く見られる虎毛の犬に着眼した獣医師で甲府市立動物園長の小林承吉と初対面、官舎の前で見た日本犬と同じ種類の分布を知る。 一方、小林も安達の情熱と持ち前の捜査力に共鳴、日本犬の原産種が残る南アルプス山ろくの現地捜査に加わる。 昭和六年八月初旬、安達は小笠原警察署に協力を依頼、同所長や芦安村と涼村(現白根町源)の巡査を同行して、犬の生息地である芦安村に踏み入れた。 四人連れとはいえ検事、署長らが現場に出かけるとなると大事件である。 しかも犯罪の発生など考えられない平穏な山間の村に出向く大捜査である。 村は全面的に協力、村内の猟犬、番犬のほとんどをかき集めて披露した。 集まった犬はすべて、人慣れしない古武士のような風格を持った虎毛の日本犬であった。 安達の感激は頂点に達した。 この当時、この日本権はまだ「山犬」「猟犬」などと呼ばれていた。 しかし研究者でもあった小林は山梨独自の日本犬として「甲斐日本犬」と呼んだ。 安達の捜査と小林の研究で、甲府市を中心とした識者の間には甲斐日本犬の機運が盛り上がった。 (敬称略)